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TOP > インタビュー ビューティウーマンインタビュー >  > R. Couture Beauty Salon(ハワイ) 泉 真紀さん

ヘアサロン領域

2014.02.26

~表参道からハワイへ、そしていずれはアメリカ本土へ~
数々の雑誌で活躍し、出産後も表参道のサロンで店長をしながら月間400万円の売り上げをキープ。
常に第一線を走ってきた泉さんがハワイへの移住と出店を考えたのが36才のとき。
異国の地で新たなスタートを切った泉さんの次なる挑戦について伺いました。

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第1章

インタビュー

第3章

泉 真紀’s Q&A

PROFILE

泉 真紀

1973年生まれ。原宿のサロンで働き33才で妊娠。臨月に月間785万円の売り上げをあげて産休に。2か月で復帰してからも第一線で働くが、ハワイでの独立を決意。現在は息子の琉人君と一緒にワイキキで暮らす。

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ふと振り返って考えた。私にはまだ夢がある。

 臨月に785万円、産休後も七時間勤務で月間400万円の売り上げをキープ。名実ともに表参道の第一線を走り続けてきた泉さんには、ずっと夢がありました。「いつかアメリカで美容師をしたい。世界にチャレンジしたい」という夢です。

 けれども店長としてスタッフ育成を求められていた彼女。責任感が足かせとなり、その夢は毎年先延ばしになっていました。出産後もフル回転の日々は続き「私、このままで本当にいいんだろうか?」とふと立ち止まったときには36才—–。
「離婚をしてシングルマザーになったこともあり、一度自分の人生を見直したんです。挑戦したいと思った夢は全てクリアできていた。あと残っているのは、海外で働くという夢だけ」。土日はバックルームでスタッフに面倒をみてもらっていた琉人君のことも気がかりでした。「一緒のと時間も欲しかったし、東京ではない土地でのびのび育てたいという気持ちもあって」
 ゆくゆくはアメリカ本土で働くことも視野に入れつつ、まずは子育て環境を優先しハワイでの独立を決めました。
 将来「『お母さんは、やりたいことには全部挑戦したよ。だから琉人もやりたいことにはチャレンジしなさい』。そう言いたくて、の決意でした」
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美容師はどの国でもどの時代でも食べていける仕事

 なかなかビザがとれず移転予定だった場所も変更に。さまざまなトラブルを乗り越え、2012年ハワイに出店。ハワイに移住すると宣言してから、一年半がたっていました。「言葉は話せませんでしたが、世界のどこに言ってもハサミ一本でなんとかなるはずと思っていました。琉人にも私の覚悟が伝わったんでしょうね。現地の保育園に放り込まれた初日、一度も後ろを振り向かずに教室に入っていきました」
 ハワイにうつり、泉さんの生活は一変しました。琉人君のペースにあわせ、朝は八時からサロンを開けるものの営業は夕方まで、夕飯は必ず二人でとります。「ハワイでの生活は悠々自適と思われがちですが、物価の高いハワイに店を持ち、短時間で生産性をあげていかなくてはいけない仕事は、日本にいたときと同じくらい厳しいものです」と泉さん。
 日本でのキャリアを捨て、とびこんだハワイでの仕事。不安は無かったのかと聞くと「美容師の仕事は、国を選ばない一生の仕事。お客さまのニーズを掴めればどんな形でも食べていける」という確信があったそう。今は、さらなるキャリアアップのために、コスメトロジストというトータルビューティの資格試験の勉強をする日々。いつかはアメリカ本土へ。泉さんの挑戦はまだまだ続きます。
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泉 真紀さん

「子どもがうまれても続けられるでしょうか?」という質問には、「そんなことで迷ったりするくらいなら辞めてしまえ」って思います。私、厳しいですかね(笑)。でも、お客様に必要とされる存在であれば、おのずと続けられるはず。女性が働きやすい業界になって欲しい気持ちはあります。でもそれは頑張っている女性に対して優しい制度であってほしいと思います。

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